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創業者「伊藤喜三郎」

建築家・伊藤喜三郎と画家・伊藤三喜庵 建設通信新聞より

伊藤喜三郎と言う人

伊藤喜三郎は大正3年に銀座の昭和通り沿い、宝町で産まれた。父親は鉄工所を経営し、三菱一号館の窓周りのグリル制作などもしていた。喜三郎が中学のころ、その工場の片隅にアトリエを作って貰い、将来絵描きを目指し友人と修業を積んでいた。しかしその後、鉄工所が上手く行かなくなったため、急遽絵描きになる夢を変更、現実的な建築設計の道を選択することになった。
事情によって選択した建築設計という道ではあったものの、建設会社の設計部などを経て、昭和27年に設計事務所を開設した。そこで病院というそれまであまり注目されていなかった領域を開拓し、着実に事務所の地歩を固めていった。後年、事務所の安定を見てから、再度絵描きとしてチャレンジを図り、晩年にはプロの画家として認められるまでになった。
建築家、そして画家として二つの人生を楽しみ、全うした人生ではなかっただろうか。

南画作品

□△○
禅宗に仙厓和尚という高名な僧がおり、その中に□△○という作品がある。それぞれの禅の精神を表す悟り、修行中、修行前を示しているという説や、宇宙を表す地、火、水を表しているという説がある。それを作者がアレンジし、図形の中に仏を描いたものである。

不動明王
右手に持っている剣を利剣といい、正しい仏教の智慧で迷いや邪悪な心を断ち切ることを現している。
左手の鋼は羂索(けんさく)といい、悪い心をしばり善い心をおこさせることを現している。

十八羅漢
上段には般若心経、下段には17人の僧たちが描かれている。曹洞宗の教えを学んでいる最中の僧たちを、整然とではなく非常に人間臭く描くことで、宗教の多様さ、懐の深さを表現している。17人のみ描いているのに18羅漢・・・・・・?

三月堂
秋の夜長、若い僧たちが境内を掃除している。三月堂(東大寺法華堂)内に祭られている、不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)をはじめとする三人の仏が余りに月が美しいので、本堂よりこっそりと出て来たのだが、そのことに気づかずにお喋りをやめない僧たちの様子が描かれている。

伊藤喜三郎 来歴

大正 3年 6月26日 誕生
昭和 13年 日本大学工学部建築学科卒業
14年 東京大学営繕課
17年 株式会社日立製作所本社建築科技師
20年 大成建設株式会社設計部主任
26年 日本大学理工学部建築学科講師
27年 伊藤喜三郎建築研究所設立
32年 株式会社伊藤喜三郎建築研究所代表取締役
63年 株式会社伊藤喜三郎建築研究所会長
平成 8年 3月3日 永眠